パワハラ告発が実はプロモーションで、大炎上したレペゼン地球。
炎上してる様子をみながら、プロモーションうまいなぁと感心したのと、たくさんの批判に対してジョークなのになぁという息苦しさを感じてました。

色々と考えるきっかけになり、今は女性差別、セクハラ、パワハラに対する私の理解が足りなかったと反省してるのですが、「「差別はいけない」とみんないうけれど。 」は、私が最初に感じた息苦しさの原因を理解するのに役立ちました。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

ポリコレへの反発がどのような理由で発生してるのか、という話です。
Playing with FIREを読んだとき同様、内容を簡単に図にまとめてみました。
※自信がないです。間違ってらすみません。図内、「統治功利主義」は、サイコパスのような世界を連想しました。コワイ。

上述したレペゼン地球の炎上と、私の感じた息苦しさを当書を参考に説明すると、
レペゼン地球のモラルを欠く行動 → 被差別集団、被害者が批判 → シティズンシップのロジックで直接の被害者以外も批判(シティズンシップの空虚さを埋めるため) → 炎上のエンターテイメント → 息苦しい

ポリコレの息苦しさに対する解決策としては、3つ紹介されてました。中でも、言葉による責任を提言してます。

なにかしら相手の行為を「不快」に感じたとしても、相手の「責任」を追求するまえに一度その「不快」さを言語化してみるべきだろう。そして、相手がなにか「不快」をアピールしているならば、その相手が「不快」をどんな論理で正当化しているか、よく吟味すればよい。そこの論理に飛躍や矛盾はないか。一見、合理的に見えたとしても、それは差別的であるかもしれない。言語によってみずからの行為を説明することは、「責任のインフレ」=「無限の負債」を逃れるための最初の一歩である。

…よく分からない笑。よく話し合いましょうってことですかね!

自由主義と民主主義の両立の破綻

当書で特に興味深かった内容は、シティズンシップ=自由主義と、アイデンティティ=民主主義の関係性。

例えばEUやアメリカの場合、
外国人に対する差別はいけないという多様性を大事にするシティズンシップのロジック(自由主義) → 経済格差から自由主義に落胆した人々が民主主義に傾倒 → 同質性を大事にする民主主義の特性上、異質の外国人を排除

今までは、民主主義と自由主義が経済成長によってうまくバランスが取れてたのですが、経済成長が鈍化してしまうと歪がうまれるとのこと。

日本の場合は、憲法の解釈に自由主義と民主主義が混在してたり、さらには天皇制という身分制度が存在してたり、その特殊性について触れてます。

Bill Burr “Paper Towel”

上記に関連して紹介したい番組。
先日公開されたBill BurrのPaper Towelをみました。

同じく最近特番が配信されたばかりのDave Chappelle同様、ポリコレなど社会風刺をネタにしてるのですが、Bill Burrが幅広い層にウケてる理由が、上述したポリコレの息苦しさの考え方で分析できます。

Dave Chappelleなど、マイノリティに属するコメディアンが、ポリコレについて言及した場合、当事者視点で話してるので、他人種は100%共感することは難しいところがあります。

一方、Bill Burrの面白い点は、育ってきた家庭環境が典型的な亭主関白な白人家庭のようで、態度や話し方が反ポリコレをうたう白人のようだけど、実は奥さんが黒人だったりと、両方のクラスタの要素を持ってることです。

特番の中では、つい言ってしまった差別的な発言をおもしろおかしく話してます。ポリコレに対するガス抜き的な存在なので、視聴者の共感を得てるのかもしれないですね。

最近のヘビロテ

Rex Orange County - 10/10

めっちゃ痩せた気がする。大丈夫かなぁ。

stevedreez MORNING

stevedreez YOKOHAMA

以上!