ラップは何を映しているのか 先週末、妻の仕事の都合で、仙台までドライブしてきました。待ってる間、時間つぶしに古本屋に。

書本&cafe magellan

店内でコーヒーも飲める、こじんまりとした古本屋。街道からちょっと奥まったところにお店があり、入り口まで本がダンボールに入った形で置いてあります。
物色してると、いつの間にかお店の入り口に誘導されるスタイル。
2冊本を購入し、コーヒー飲みながら時間を潰してました。

ラップは何を映しているのか

上記の古本屋で買った本の1冊が「ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」。
対談形式だからなのか、かなり読みづらいです。オタクが数人早口でまくし立ててるような、収拾がつかない感じ。笑

内容は三部構成で、第一章でラップの定義、現在の米国ラップ事情。第ニ章で米国ラップの歴史。第三章で日本ラップの流れと特長。

本書の本筋からは外れちゃうかもしれませんが、読んでて、最近のメインストリームヒップホップに付いてけない理由が分かりました。

僕は厨二病全盛期の2000年代初頭に、ギャングスタ・ラップに傾倒し、その後は時代を遡る形でコンシャスラップへと興味が移ってきました。
結果、ラップの評価基準としてスキルや政治性が大きな割合を占めてます。(体制に抗うラッパーに憧れる片田舎の少年。笑)

そのバックボーンがあるので、下記のような、最近の非政治化したラップに対して違和感を感じることになるんですね。

つまり、いわゆる90年代的にリリックが直線的かつメカニカルに押韻しながらビートを刻むのではなく、音源の中から空間的に言葉が浮かび上がったり沈んだりするイメージ。加えてアトランタのトラップシーンではリバーブも強くなって、その沈み方が水ノンカアで溺れているような感じのサウンドになっている。何をラップしているかよくわからないということで、「マンブル(もぐもぐ)・ラップ」、あるいはリリックに従来のような意味はないということで、「ポスト・テキスト・ラップ」なんて呼び方もされますよね。(中略)最近の流行りで言えば、リル・ヨッティなんかはさらに幼児退行化している。MVもメルヘンでキラキラしていて、子供の国みたいな、徹底的に非政治化した世界観。

思えば、J. Coleが出てきた時に嬉しかったのは、メッセージ性の高いラップだったからなんでしょうね。SimbaのMVを見たときに、これだよこれ!って膝を打ったのを覚えてます。

ブランド品などで着飾ることなく、シンプルな服装でラップのフロウとリリックだけで勝負してる感じがしびれる笑。しかし改めて昔の動画を見ると、J.Coleってめっちゃ太ったんですね。

時折、Kendrick Lamarのようにおっさんにもウケるラッパーが現れつつも、ラップがヒップホップ4大要素の一つ云々、みたいな考えが風化してゆき、ラップが音の一つとして構成される音楽が増えてくんですかね?

最近のヘビロテ

Folamour | Boiler Room x FLY Open Air 2019

32:00からの盛り上がりは、見てるだけで幸せになれます。

以上!